日本百名山を登山しながら一気に歩き抜く、それが「グレート・トラバース」
深田久弥「日本百名山」が出版されてから五十年。日本百名山すべての頂を登り、その間、一切交通機関を使わず、自分の脚とカヤックだけでつなぐ、途方もない旅。日本が有する雄大な自然資源の魅力再発見へとその一歩を踏み出した。日本を代表する“プロアドベンチャーレーサー”田中陽希氏は2014年、百名山を達成し、2015年次の挑戦へ向かった。
「日本百名山ひと筆書き」 に続く、新たなる人力旅
随筆「日本百名山」を著した深田久弥氏の遺志を継ぎ、1974年に発足した愛好会「深田クラブ」によって1984年に選定された二百名山。 2015年、日本百名山ひと筆書きを達成した田中陽希が百名山の次に選んだのは、人力のみで走破する二百名山の未踏の山1100座のひと筆書きチャレンジだ。北海道から九州へ南下するルートの総走破距離は7500kmを越え、またしても7か月間におよぶ壮大な旅になることが想像できる。日本に未だ残る豊かな自然と文化、 そして山と共に暮らす人々との交流を肌で感じながら、 この前人未到の挑戦を見事達成した田中陽希氏の思いとは。
田中陽希氏がプロジェクト決行に思い立った理由
2012年、10年ぶりに父方の祖父母を訪ねて佐賀県へ飛んだとき、九州にある日本百名山の阿蘇山・九重山・祖母山の三山を、2泊3日で テント泊縦走した。そのときの距離は約150km。そのツアーを実践したことが転機となり、帰路の飛行機の中で「日本百名山を一気に歩き 通したら面白いんじゃないか」と考えた。飛行機の中の冊子を広げて日本地図を見てみると、頭の中でイメージがどんどん膨らみ、羽田空港に 着いたときには、すでに旅が独り歩きしていた。
日本百名山とは?
深田久弥の山岳随筆集を起源とし、現代においては書籍というより「国内100座の名峰」として広く認知されている。 深田自身の経験から品格、歴史、個性を兼ね備え、かつ標高1500m以上の山から選定された。 ブーム化した昨今においては100名山の全踏破を目標にする登山者やスピードを競う人も現れ、多様な関わり方があることが分かる。人気の高まりから登山道も整備され、ビギナーでも親しみやすい山が多い。
海よりも「山」が好き
海か山どちらが好きですかと聞かれれば迷いなく「山」だという田中教授。アドベンチャーレースで、海も山も関係なく駆け回る立場であるがそこは幼少の頃から親しんだ北海道の自然が原点になっているそうだ。今回は、尾道水道、そして向いに憚る島や山を眺めながら、その冒険の魅力について聞いてみよう。
そして、聞き手は、尾道自由大学の校長でもあり、アドベンチャー神社学の教授でもある中村真校長。山、神社、冒険が好きな中村校長と田中教授のトークイベントは、尾道自由大学開校3周年スペシャル講義第2弾です。お見逃しなく。
これから何かにチャレンジしたいと思っている人へ〜田中教授より一言〜
私のチャレンジでそれ以降、多くの方が山への魅力を抱き、山へ行ってみたいチャレンジしてみたいと思い、自分に合ったスタイルで山や自然と向き合っていただけたらと思います。