事務局のつぶやき(不定期)


カテゴリ:blog コラム | 投稿日:2020年06月26日

不定期配信の「事務局のつぶやき」をお届けします。

尾道で暮らす中で感じたことや講義としてカタチになる前の企画のタネを言語化してみる試みです。

つぶやきなので、あえて「です」「ます」調ではなく、独り言のように淡々とつぶやきます。

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尾道自由大学祭 2020について / 事務局 高野哲成

 今年も8月の最終日曜日に尾道自由大学祭を開催することが決まった。今年はこれまでとは変えないといけないことも出てくると思うけど、まずは企画を組み立てていくため、今年のテーマをどうするか?どんなゲストにお願いするか?という事から、事務局メンバーの中で話し合いが始まっている。

 新型コロナウイルス、オリンピック延期、ブラック・ライヴズ・マター(英: Black Lives Matter)、内閣府が発表したムーンショット目標など、2020年上半期、様々な興味深いニュースが流れているが、その中でも尾道自由大学らしく、これからの「生き方」や「学び方」という軸をブラさずにどんなテーマを世に問いかけていくか?今回はそんなことを考えてみたいと思う。

指標からみる「日本」
 日本は2020年現在、GDPで見ると、中国に追い抜かれたものの現在3位。でも、2020年アジア大学ランキングでは東大(7位)、京都大学(12位)と中国、香港、シンガポールの大学に抜かれていて、これは今後のGDPランキングにも影響を与えてくる可能性は高いと思う。

ちなみに、経済以外の指標として、世界幸福度ランキングでは、台湾25位、シンガポール31位、フィリピン52位、タイ54位、韓国61位、日本は62位、香港78位、中国94位。世界報道自由度ランキングでは、韓国42位、台湾43位、日本66位、中国177位。という結果で、日本に暮らしていて、日本は治安が良くて、街は清潔だし、電車は遅れないし、日本て良い国だなあ、、、なんて、思って暮らしている人が大半だと思うけど、自分たちが思う「幸せ」と世界における「幸せ」には少しズレがあるようだ。

私たちの感覚のズレ
上の様な結果になる理由について、国内に暮らしているとあまりピンと来ないかもしれない。街にはいつもの見慣れた風景があって、会社があって、学校があって、テレビがあって、色々なところで工事が行われ、私たちの暮らしはこれまでと何も変わっていないように見える。でも、もしかすると、その「何も変わっていない」ということにもっと疑問を持つべきなのかもしれない。

日本には解決が求められる問題が山積しているが、多くの問題が先送りにされたままだ。例えば、インフラ維持の問題に注目が集まる一方で、今も日本中に新しい道路やトンネルの工事が進められているなど政策上の矛盾が目立つ。これまでの仕組みのまま回り続けている社会は、変わるチャンスを逃し続けているように見える。

日本の学校に求められる「イノベーション」
組織が大きくなればなるほどマネジメントは難しくなるが、それは行政も例外ではない。大きくなり過ぎた組織を上手く回すには、優れたマネジメント力を発揮するか、それが難しければ、ヒエラルキーを強化して個人の自由をなるべく制限するしかない。

しかし、インターネットで世界中が繋がり、全世界的な視点で物事を考える人が増える中で、後者にはいずれ限界が来ると思われる。どんなこともでも表に出るようになって来ていて、「透明性」や「誠実さ」がこれからの社会のキーになるからだ。

しかし、日本の学校では子供の頃から「校則を守る」「先生の言うことを聞くこと」を繰り返すばかりで、なぜ先生の言うことを聞かないといけないのか?この校則は社会の常識から照らしておかしくないか?という本質について考える時間が不足している。この一見無駄とも思えるプロセスを通して、調整力やイノベーションを起こすための力など、多くのことが学べるはずだ。

このことは、昨今盛り上がっている「新学習要領」や「学び方改革」の中でもあまり語られることがない。学びにおいて、授業や宿題という「コンテンツ」以上に、周りの大人たちを含めた「環境」は子ども達の主体性やモチベーションを引き出す上でとても重要なのだが、そこに抜本的な変革をした例は、ほとんど聞くことがない。

有名な、「東京都世田谷区立桜丘中学校」の前校長 西郷孝彦さんが注目を集めたのは、この部分に着手したイノベーションが一番の理由だろう。

慣れ親しんできた学校が変わる!?
広島県でも教育委員会に「個別最適な学び担当」が出来て、学校に対し「個別最適化」を推進し、「学校教育を変えて行こう」という声の高まりをひしひし感じている。

この流れには個人的にもとても共感するし、尾道自由大学が掲げてきた自由な「学び」の場、地域に開かれた「学び」の場という特性とも合うので、今後自分たちが社会にどんな役割を果たして行けるのか?ということに期待している。

教育の目的とは?
しかし、いま世の中の声に耳を傾けてみると、リモート学習の動きが広まるなど「学び方」を柔軟化する動きがある一方で、授業の進度や新しい格差が生まれることについて心配する声が多く聞かれるなど、これまでの「平均点教育」「成績至上主義」の片鱗が顔をもたげてくる。

子どもたちに必要なこれからの「学び」について、まだまだ議論や情報発信が不足しているように感じる。また、「教育」についての議論を「学校」という括りの中だけで捉えていては、学校教育が掲げる目標である「生きる力」を養うという目標に対しても実は不十分なのかもしれない。

近年行われた教育改革として記憶に新しいのは「ゆとり教育」だが、これも捉え方を変えると、学ばなければいけないことを減らした上で、何をするのか?という「自由」の前に多くの人が立ちすくみ、結果として、制度を批判することで自分たちの責任を転嫁してしまったとも言える。

社会が変わるのが先か、教育が変わるのが先か
世の中の様々な事象に対して、議論を突き詰めて行くと、「自分たちの世代で解決するのは無理だからこれからの世代に期待するしかない」ので「やっぱり教育は大事!」という結論に至る事が多い。もちろん、教育は大事なのだけれど、冷めた見方をすれば、実は自分たちの責任を教育に転嫁して、その解決を次の世代に押し付けているとも言えなくはない。

一方、それでは実際の教育現場はどうかと言うと、人員削減に伴う人手不足に加えて、保護者や社会からの要請をまともに受けているのが現実の様で、現場の先生たちと話をしても、「校長が…」とか、「保護者が…」とか、「教育委員会が…」など、出来ない理由が止め度となく溢れ出て、社会が変わらない限り、教育現場が変わるのは難しそうだ。

そうなると、社会が変わるのが先か?教育が変わるのが先か?卵とヒヨコみたいな🐣話になって来る。
このループとも言える状況を解決するには、先生だけ、行政だけ、保護者だけ、では難しく、全体的な視点、客観的な視点、そしてアカデミックな視点が必要とされる理由でもあると思う。

では、このループから抜け出すにはどうしたら良いか?そのヒントは、社会と教育の中心にいる他でもない私たち一人一人の「人」に目を向けるということ。どうやら世の中を変える鍵を持っているのは自分達らしい。

最後に
広島県の広島大学附属幼稚園の先生らを中心に幼児教育や保育に携わる先生や保育士、研究者の方々が続けられている読書会の中で「幼稚園は21世紀の最大の発明」という記事を読み、その中で言われていたことが、昨今注目を集めている教育改革と本質と通じている。個性を認める事や、失敗を恐れずチャレンジする事や、遊びの価値など、現代の社会に必要とされていることの多くが実は保育や幼児教育の中にあるという。

もしかすると、「学び」について、本質的には年齢の違いは無いのかもしれない。尾道自由大学は「大学」と名乗っているが、これからも純粋に学びたいという気持ちを持った人の集う、「笑ないながら学ぼう」を体現した場でありたいと思うし、今年の尾道自由大学祭の開催でも、こういうことについて真剣に議論出来る大人〜子どもたちまでが楽しめるような場づくりをしていきたいと思う。

以上

ことしの尾道自由大学祭は8月30日(日)に開催します。昨年同様、トークと出展ブースを両方楽しめるようになる予定です!

お楽しみに!尾道(ONOMICHI SHARE)で皆さんにお会い出来るのを楽しみにしています!

(text by 尾道自由大学 事務局 高野哲成)


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