改めて『教育』についてに考えてみました。


カテゴリ:blog イベント コラム 事務局からのお知らせ | 投稿日:2019年12月17日

こんにちは!尾道自由大学クリエイティブチーム(事務局)の高野です!

いよいよ今年も終わりということで、一年を振り返りつつ、勉強の時間を持てています。(講義は今週末もオススメの講義が絶賛募集中なので是非ご受講下さい!!)

突然ですが、『コスタリカの奇跡 ~積極的平和国家のつくり方~』
という映画をご存知でしょうか?

(予告編)https://youtu.be/pnxGYapjZME


ずっと見たくて、遂に、12月15日(日)にシネマ尾道で開催された「世界は変わる あなたが望むなら」という特別上映会に参加して来ました。

コスタリカという国についての説明は是非映画を見て貰いたいので、最低限にしますが、世界幸福度ランキング2016年1位(現在は12位)ということで、やはり見習うべき「何か」がありそうな国です。

(参考URL)https://kokocara.pal-system.co.jp/2018/06/04/country-without-army-costa-rica/



この映画は、「積極的平和国家のつくり方」ということで、現在の国の体制になるまでの歴史や、コスタリカの人たちがどんな取り組みをしてきたのか?などが主なテーマなのですが、その中で特に自分に響いたのは「教育」に込められた想いでした。

「民主主義」の国は、選挙で選ばれた代表者達によって運営されるので、「選挙」が国の要であり、その選挙にも左右されず、国の根幹を成すのが「憲法」というのは、日本もコスタリカも変わりません。

ただ、民主主義が国民一人一人の中に根付いているからこそ、コスタリカの大統領選挙の投票率が一時は80%にまで達した(現在は60〜70%)のだと感じました。(大臣の連続再選禁止、大統領は2期立候補出来ない、憲法改正は複数の政権に跨って3回審議など、政権を厳しく律する制度も効果を発揮していると思いますが…)

隣国との関係も難しい状況下でも「軍隊」を持たず、政府が福祉、教育、環境、平和などを大切にしていくという明確なメッセージを発していて、国民がそれを支持していることも凄いと思いました。

そんな国民性はどこから来るのか?コスタリカの教育に注目すると、まず驚いたのは、一番初めに学ぶことが「誰もが愛される権利を持っている」ということ。そして、教育の根幹に「本人の幸せ(幸せに生きる権利)」、「他人の権利を認める(基本的人権)」、「他人の尊重(民主主義的な価値観)」を据えているということです。

個人的に、最近「学校を変えよう」「学び方を変えよう」というこれまでの教育のあり方を見直す動きの中で、色々な取り組みの実践者や研究者の方から興味深く学ばせて頂いている所なのですが、教育学部などで教育についてきちんと学んだことの無かった自分にとって、「教育の目的」という背骨が無いまま、色々な知識を付けて行っている感覚がありました。

でも、この映画を見て、腑に落ちることがありました。

このことを日本に置き換えるとどういうことだろう?と考えていたら、丁度良いタイミングで、「箕面こどもの森学園(認定NPO法人コクレオの森)」についての記事と出会えて、こういうオルタナティブな学びの場の存在する意味や、(良いところも沢山あるけど)変化が求められている公教育が今後どのように変わっていくべきか、ということへの視野がスッと広がった感じがしました。

(参考URL)https://greenz.jp/2019/11/01/kodomo_no_mori/?fbclid=IwAR2pQ-oWyWJKzEfOeElyAMHO9Vo2Istnc1gHMtVYl7_on0BuhgjN3cC1KCg


また、仕事柄、色々な達人やプロの方との関わる中で、山の中で算数が活きたり、川や海の水質を考えるときに化学や生物の知識が活きたり、自然エネルギーについて考えるときに物理の知識が必要だったり、「理系の知識」が世界と向き合う時に必要になる力なのだと実感する機会に恵まれているのですが、(不幸なことに)中学/高校時代に勉強する意味や、将来どのように役に立つのか?を伝えてくれる先生に会ったことはありませんでした。

この差は何か?考えてみた所、勉強には「基礎」と「応用」というものがありますが、もしかすると「応用」を前提にしない「基礎」は、意味もなく「うさぎ跳び」をさせられているのと原理は同じなのかもしれません。

日本人の大学生の「学ぶ意欲の低さ」を指摘する人は多いのですが、この辺りに教育の未来を考える上のヒントがありそうです。

最後に、教育改革の先にある民主義的な価値観である「説得力」「対話力」について付け加えて終わりにします。

「日本人は議論が出来ない」「日本にはジャーナリズムが根付いていない」ということがよく言われるのですが、つい考えの違う人をすぐ「考えが合わない」と排除してしまっていないでしょうか?

そして、政治的なことで言えば「中道」のグラデーション範囲が恐ろしく狭くて、すぐ敵か味方か?白か黒か?というレッテルが貼られてしまう。海外では極左/極右と呼ばれるような考え方や意見が、普通に左/右というステージで話されているところに恐ろしさを感じます。

もちろん、それぞれの人にそれぞれの意見があって、それを受け入れるのが民主主義なのですが、今の日本では「政治」や「歴史」は理論武装した専門家やマニアのフィールドになってしまっていて、一般人は違和感を感じてもまず知識で負けて「論破」されてしまいます。

本来、左と右というのは一対のものなので、一人一人が左右それぞれの視点を持って考え、人と議論し合うことで、妥協するのではなく(勿論、力でねじ伏せるのでもなく)、よりよい「アイデア」を導き出すことが出来るはずです。

世界は丸いから、ずっと左に行ったら、右から元の場所に戻って来るというのは冗談ですが、例えば「国の安全保障」を考える時に、この視点はとても大事です。自国はどのようなポジションを取るべきか、「説得力」「対話力」は、外交の手腕にも直結します。

国際政治の世界では仮に他国政府を「論破」したところで、相手の国民を含めて受け入れられる結論でなければ、何も前に進みません。日韓関係が一向に改善しない原因もそういうところにあると思います。

いま教育の現場で求められる「多様性」「異文化との共生」に代表される「国際感覚」は、一国の利益や一企業の業績だけでなく、人類の良心を信じ、自国の未来と他国の未来を調和させていく手腕のことなのだと思います。

その根幹にあるのが「教育」であり、子ども達が「未来」なのだと考えると、未来は変えられるという希望が湧いて来ませんか?

それでは、少し早いですが年末のご挨拶に代えさせて頂き、来年も引き続きよろしくお願いします!

また、地域における新たな取り組みとして、いま幼児教育の分野に関わらせて頂いていて、「みらいのこども舎」という活動も今年の春からスタートしているので、そちらも宜しければ応援宜しくお願いします!それでは良いお年をお過ごし下さい◎

(みらいのこども舎 FBページ)https://www.facebook.com/mirainokodomosha/


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