【いぐさ部】い草職人から学ぶ ~1つのい草ができるまで~


カテゴリ:コラム | 投稿日:2016年04月05日

いなわの写真

さて、皆さん、この写真の丸っこいもの、何だと思いますか?実はい草で素材にして作られた“い縄”です。今日は、“い縄”についてお話をご紹介したいと思います。

まずは、自己紹介
その前に、まずは自己紹介をします。3月から、いぐさ部員になりました木村です。私がい草に出会ったきっかけは、岡山県倉敷市で生産されている“花ござ”です。倉敷民藝館で“花ござ”を一目見て、い草の魅力に取りつかれました。それから縁あって、い草栽培を教えていただき、い草の商品企画にも挑戦させていただきました。

その後、地元である広島県福山市に帰ってきて、備後い草の特徴を知りたいと思い、いぐさ部に入部しました。これからは、いぐさで様々な活動をしていきながら、備後い草の価値や魅力を、自分の口で伝えられえるようになりたいです。そのことが、これまで備後い草に関わってきた人たちや今関わっている人たちに対する、恩返しや応援につながるのではないかと思っています。

~1つのい草ができるまで~
さて、話に戻りましょう。“い縄”について知るために、4月1日に畳表の職人をされている門田さんを訪ね、福山市熊野町にある作業場に行ってきました。門田さんはディスカバーリンクせとうちが運営する「備後い草プロジェクト」において、地元の沼南高校の生徒さんと一緒に備後い草「せとなみ」の栽培にも取り組んでいます。門田さんの作業場に行くと、い草のいい香りが漂ってきます。そして、ガッシャガッシャと、織機の音が聞こえてきます。

②いぐさ織機と門田さん

「備後のい草は、ツヤがあって強い。昔の人が作る備後い草はキレイじゃった。今ではなかなか作れるもんじゃない。」と、今日も織機を動かしている門田さん。

④門田さん

門田さんのお宅は、長年い草の卸問屋をしていたそうで、20歳の頃までは、い草の栽培も行っていたそうです。時代の流れで徐々に卸の仕事も減り、長らく栽培もしていませんでしたが、備後のい草を残したいという思いで、2年前から、い草の栽培を始めています。

い草の栽培を始めた時は、近くの農協でたった1つの株しかなかったそうですが、手作業の株分けを繰り返し行うことで、2年で田んぼに植えるまでに株を増すことに成功しました。備後い草に対する情熱を燃やす門田さんの新しい挑戦が、冒頭で紹介した“い縄”(数本のい草を編んで縄にしたもの)です。

「もっと細くならんかのう」と門田さん。まだ満足いく出来ではないみたいですが、いぐさ部ではこの“い縄”を使ってワークショップができるように研究中です。

〜里山の中の備後い草の田んぼ〜
田んぼを見せていただいた時、周りの風景というか、環境にも感動しました。昔はどこにでもあったはずの、里山の懐かしい風景が広がる場所です。以前はこの辺りのほとんどが、い草田んぼだったようです。

「あのお地蔵さんがいるお堂のそばの田んぼが、こないだまでい草やっとった」門田さんの昔話も面白い。

⑤いぐさ田んぼ

田んぼに入れる水は、すぐ近くに流れている小川から引いています。たまにマムシが出るから大変とのこと。い草が生まれる場所は、人と自然の近さが感じられる場所でした。

小川の写真

私は、福山市出身ですが、身近な場所にまだまだ知らない魅力があるのだと感じました。い草の栽培は5月からは、肥料や草取り、網掛けなどの農作業が忙しくなってくるそうです。

そして、今回紹介した“い縄”も、活躍する日が近づいています。いろいろと楽しみの多いいぐさ部を、これからもよろしくお願いします。

(text:いぐさ部 部員 木村桃子)


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