多民族国家アメリカにおける人種や国籍とは?
トランプ大統領の就任演説では“アメリカ人”や“国民”という言葉が度々登場し、改めて自分の人種や国籍を意識させられる機会となりました。外国で暮らす上でその国の言語や文化への理解が求められるのは当然ですが、さらに人種や国籍の違いまで問題とされる時、移民たちはどうすればいいのでしょうか。
日本ではあまり知られていない、日系アメリカ人の歴史
2016年12月28日、オバマ元大統領がハワイの真珠湾で行ったスピーチの中で、戦時中、日系アメリカ人たちの自由を奪った「強制収容」や日系アメリカ人によるアメリカ軍「442部隊」について語られたことをご存知ですか。予備知識がなければ、聞き流してしまったかもしれません。同じ日本人の血を引き、いまも根っこの部分に日本的な考え方や価値観を受け継ぐ人々ながら、日系アメリカ人の歴史は日本ではあまり知られていません。
“戦時中、日系米国人は自由を奪われたにもかかわらず、米国史上最も多くの勲章を受章した部隊の中に、主に日系2世で構成される第442歩兵連隊とその下の第100歩兵大隊があったことにも思いを巡らせます。”(オバマ大統領スピーチより)
442部隊の兵士たち
“Courtesy of the Seattle Nisei Veterans Committee and the U.S. Army
強制収容所に入所する人々
アメリカにおける人種迫害の歴史
また、ケイティ・ペリーが発信し話題になっている、イスラム教徒へのヘイトクライムをしないよう訴える映像 “IS HISTORY REPEATING ITSELF?”(歴史は繰り返すものなの?)の中では、イスラム教徒への弾圧や差別は、かつて日系アメリカ人が経験したことと同じだと批判しています。(”IS HISTORY REPEATING ITSELF?”)
ヒスパニック・ラテン系、アフリカ系、アジア系、アラブ系、ネイティブ・アメリカンと、アメリカ国内における人口比率があまり高くないこともあり、日系アメリカ人がこういう表現の題材となることは珍しいのですが、一度は敵国人として強制収用所にまで入れられた日系アメリカ人の人々は一体どうやって、信用を獲得し、権利を獲得していったのでしょうか。
牧原 秀雄さんが出会った日系アメリカ人の人々
アメリカ(シアトル)に23年近く暮らし、日系アメリカ人の人々と交流のあったみはらし亭・亭主の牧原 秀雄さんをお招きし、ご自身の感じられたことや歴史の証人とも言える日系アメリカ人2世の方々と実際に話し学ばれたことをお話しして頂きます。牧原さんは、シアトルで日系アメリカ人の歴史を記録したドキュメンタリー映画の上映会と監督の講演会を開催されるなど、その歴史の伝承に関わって来られました。
一番左が牧原さん
日系アメリカ人2世ヒロ・ニシムラさんと共に
日系アメリカ人の人々との出会いは一番の経験
牧原さんは、アメリカでは言語学を学ばれ、Microsoftの自然言語処理グループで言語テスターとしてMicrosoft Officeの校正ツールの開発やローカリゼーションに携わられました。またプライベートでもJAZZのコンサートを開催されたり、東北大震災のチャリティーイベントとして音楽家の大友良英さんを招かれるなど、一見華々しいキャリアの牧原さんですが、その裏側には、文化の異なる国において様々な試行錯誤と努力、そして挫折と妥協の結果があったと言われます。そして、そんな牧原さんが最も大きな経験の一つとされるのが、日系アメリカ人の人々との出会いでした。本講義では、牧原さんが実際にお会いされた日系アメリカ人の人々の生き様と、海外で実際に移民として暮らされた経験を通じて、海外で生きていく上で言語力や異文化への理解以上に大切なことを教えて頂きます。
映画上映後の講演会場にて
人から人へ、心で学ぶ歴史
牧原さんが尾道に移住して来られたことでアメリカと尾道が繋がり、シアトルで上映会を開かれた日系アメリカ人の歴史を描いたドキュメンタリー映画が尾道で上映されることが決まりました。「知識」としての歴史なら本やインターネットから知ることが出来ますが、一般の人々の等身大の暮らしや気持ちはなかなか知ることが出来ません。「映画」に記録された人々の姿や声はそれを知るための貴重な手がかりとなります。そして、尾道自由大学では、牧原さんから映画についてご紹介して頂き、その歴史的背景についてご自身の経験を元に語って頂きます。その場所に行き、当事者の方々から実際に話を聞いて来られた方の生の声を聞くことで、遠い歴史のような出来事が身近になります。建国記念の日に、アメリカに渡った人々とその子孫の生き様に思いを馳せてみませんか。
強制収容所の中を歩く母子
▼シネマ尾道で開催される上映会の詳細はこちらのブログ記事をご覧下さい。
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