講義名:金継ぎの日 | レポート公開日:2017年08月11日
「愛しの金継ぎ学」第3期が開講されました。今回の講義レポートは趣向を変えて、金継ぎで修復され新たな人生を歩み始めた器たちの姿を卒業生の政田陽子さん、高橋玄機さんにレポートして頂きました。講義の内容や講義風景については、前の講義のものをご参考下さい!
政田さんの器たち
ズボラな性格のため、「どうせ壊してしまう…」と、気に入った器に出会ってもあえて求めずにきました。
そんな私が持つ器は、用をなすためだけの素っ気ないものばかり。壊れて廃棄することに、さして罪悪感のないものばかりでした。
それでも欠けやヒビなどがそのままの器を普段の食事のたびに目にしていると、なんとなく侘しく、荒んでしまうような気持ちになります。そのうち「壊してしまった」という罪悪感も忘れていく自分にもがっかりしてしまう。そういうのって、なんか面白くないなぁ。
「モノを大切にしたい」というよりも、小さな罪悪感の行き場を求めて受講を決めました。
●小ぶりなどんぶり
スーパーのワゴンセールかなにかで数百円だったもの。特に気に入っていたわけではなかったけれど、サイズ感とか容量とかの使い勝手が良く、学生の時から使っているのも相まって、さすがに愛着があります。少々欠けたくらいでは「捨てる」という選択肢はなかったので、ずーっっと欠けたまま使ってきました。
それが、金をまとって生まれ変わりました。庶民的な食卓に、なっとうに負けぬ輝きを帯びています。
学生からの腐れ縁、いつかは卒業したい。けどもこんな面白い表情をみせてくれるようになった器の、さらなる(オモシロの)ポテンシャルを引き出すのがこれからの私の課題かもしれません。
●湯のみ
家電量販店で、なにか家電を買ったときにタダでもらった急須と湯のみ4個セット。
湯のみは1個割れ、2個割れ、残り2個。おそろいだった急須もとっくにこの世にいません。
なにせタダでもらったものなので思い入れなんかありませんでした。それでも最後の1個まで破壊し続け、「そして誰もいなくなった」状態になってしまうのも気が引けてしまいます。
3個目をハデに破壊したとき、こりゃもう使えないから埋め立てゴミの日に出すという選択肢しかありませんでした。しかし、埋め立てゴミの日をうっかり忘れ続けるという、湯のみの呪いみたいな理由でしぶとく居座り続け、この度、見事復活したのでした。
金を蒔くタイミングが少々早かったため、どんぶりほどの輝きを得られなかったのですが、上から薄く漆を重ね塗りし、しっとりしたツヤを帯びています。酸いも甘いも噛み分けた、場末のスタンドのお姉さんみたいな味がある…なんて、言い過ぎでしょうか。
●マグカップ
めずらしく、おしゃれな雑貨屋さんで買い求めた一品(量産品ですが)。
やっぱり好きな柄、手になじむ感じ、気に入ったものをそばに置くのは日々の生活の潤いです。
そうやってトキメキを抱いて使っていても、壊すときは壊す。致命的ではなかったものの、底まで延びたヒビから中身が漏れるようになりました。割れる前のヒビには手がつけられない(いっそ割るしかない?!)かも、と思っていましたが、漆をヒビに沿わせて塗ることで漏れを防げると知りました。漆、すばらしい…!!
欠けには金を蒔く前の段階、「弁柄」を塗った状態で仕上げとしました。
普段使いにふさわしい、落ち着いた仕上がりになりました。
●蓋碗(がいわん)
唯一お金をかけて、気に入ったものを求めた一品。中国茶でおなじみの茶器です。
それを買ってわずか一週間で「カツーン」と欠けさせてしまった時の気持ち、わかってもらえますでしょうか。
それが美しく、かわいらしく、上品に金をまといました。ウキウキします。お茶もいつもより美味しく感じるってもんです。
わたしが金継ぎから学んだのはこのことです。
すなわち、「どんな大事なものでも、気をつけていても粗忽者は壊してしまう。しかしその罪も罪悪感も、金を蒔くことでなかったことにできる」!
「モノを大切に使う」というのは当たり前のことです。
それでも人はモノを壊す。壊れてしまう。
「形あるモノはいつか壊れる」というのも、そこらじゅうで言われていることです。わたしもそう言って、いろんなものをあきらめてきました。
それを「修復」という一面だけでなく、「装飾」や「遊び」も目的として、あらゆる手を使って工夫し、発展してきた「金継ぎ」という技術。先生からお話を伺えば伺うほど、先人の執念・発想には頭がさがるばかりであり、同時に、「徹底的に遊ぶ」ということへの、おおらかな、楽観的な視点も見えてきます。
「モノ」は単なる「モノ」ですが、「壊れた」ということに引きずられて日々の生活を暗いものにするのはあまりにもったいない。壊れる前に戻すことはできないけど、気楽に、たのしく遊んでみることで、器ひとつが「面白い」存在になる。
それが、わたしがこの講義で一番強く感じたことです。
「遊びをせんとや、生まれけむ」
みなさんにもこの面白さ、伝わりますように。
高橋さんの器たち
私はお茶農家という仕事柄、急須をよく使うので、毎年、何個か割ってしまいます。そのたびに、いつかは直したいと思い早4年、やっと直せられる!と思い即受講の申し込みをしました。
「受講料が高くて手が出せない」と感じる方もいるかと思いますが、講義終了時にはなんてリーズナブルな価格なのだろうと実感して頂けると思います。そもそも先生が何十年もかけて培ってきた技術や道具をほんの5回の講義で教えて頂けるなんて、というのが今現在の素直な感想です。講義で直した急須には益々愛着が沸き、いつも使っています。
金継ぎ講座受講後、お茶を審査する茶碗を相方が割ってしまいましたが、これもまた直すことが出来るし、どうしても割れてしまう器たちをまた直して使っていけることを「風流」と思えるようになりました。その時に気が付きましたが、金継ぎは一種の保険かもしれません。しかも現状よりもさらに良くなる保険。もっと早く受講しとけばよかったと思えるくらい良い講座でした。
しかも金継ぎの技術を今後継続して磨いて行ける「金継ぎ同好会」も新しく立ち上がりましたので、アフターフォロー付きの講座です!今後はもっと割って(!?)、もっと金継で直して、金継ぎの魅力を伝えていきたいです!
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新たな命を吹き込まれた器たちとの生活のワンシーンをレポートして頂きました。
皆さんも、家に欠けたあるいは割れたままの器は眠っていないでしょうか?
次期、「愛しの金継ぎ学」は今秋10月に開講予定です!